///やりがいの場所

やりがいの場所

会社をやめて何年も経つのですが、まだ前の職場の夢を見ることがあります。今日はちょっとその話。

夢日記によると、もっとも最近見たのは2017年12月30日かな。
一~二年に一度見る気がします。

前の会社には五年くらいいたんだけど、夢に出てくるメンバーは不思議なことに、「最初に配属になったチーム」だけ。
それと、昔のオフィスがそのまま出てくるとか、昔の一場面がフラッシュバックするとか、そういったことは一切ありません。

いつも、すごくへんな場所、どこかの教室だったり、未来的な、白っぽいコワーキングスペースみたいなところが夢の舞台です。
今回はそのイメージでイラストを描いてみました(クリックで拡大)。

話の筋もとりとめがなくて、ただ、当時のメンバーの誰かが出てくるので、「ああ、あのチームにいたときか」と分かります。

会話も覚えていることは少ないんだけど、2017年12月30日に見た夢は、ある女性に、最近どう? というようなことを聞かれて、自分は、
「いやー、漂流するばかりだよ」
と、答えてました。
表層的な意識ではそんなこと思っていなかったので、目が覚めてから、「そうか、私は漂流しているのかw」と(分からないでもないが)。

その後、Twitterである方のつぶやきを読んで、思ったのですが。

たぶんですが、これまでの職歴で、ちょっと大げさに言うと、一番「やりがい」を感じていたのが、あの最初のチームの頃だったのかもしれないと。
「やりがい」という言葉が適切かどうかは分からないけど。

当時はけっこう大変、と感じていました。
自分の能力を超えるソースコードだったし、会社に入ってすぐの配属で「役に立つようにがんばらないと」と焦っているところもあった。
同期の中途入社の人たちと、「新卒の子たち、めちゃくちゃ優秀ですよねー!」「ソースコード見たとき絶望しましたわ……」とか、ランチで話し合っていたのが懐かしいw

その後、チームは何度も変わって、他のサービスも担当して、どこも楽しかったけれど、そこで出会ったメンバーは夢に出てくることはないです。

それは、会社にも慣れて、「自分の能力でこなせること」しか、やっていなかったからなのかな、という気もします。新しいことにもチャレンジしようとしたはずだけど、私の無意識には、そう認識されていなかったのかもしれません。
自分というのは、欺けないものです。

去年の12月30日の夢を考えていて、気づいたのは、
「やりがいというのは、自分の能力を精一杯使っている状況」
なのかなー、と。

もちろん「やりがい搾取」は御免こうむりたいけど。
ただ、「その中にいるときは、大変と感じるくらいのとき」が、実は「やりがいの場所」にいる、ということなのかもしれない。

私はいま、かなり理想的な(*)人生を送っているけど、どこかでもっと「やりがいの場所」を求めているのかもしれないなー、と思いました。

(*正確にいうと、二十代前半のころに夢見た状況が、思ったのとは少し違う形で実現されたって感じです)

ときどき、高い地位について何の不足もない報酬を得ている人が、その場所を飛び出して、まったく新しい会社や事業に入っていくことがありますよね。それもやっぱり、「やりがいの場所」を求めているからかなぁ、と。
「やりがいの場所」は、ある人にとっては、心から切望するものなのでしょう。「生きているという感覚」が、そこにあるんじゃないな。

……というようなことを、2018年のお正月くらいに考えてました。
そして、まあ、今年の目標は「新しい「やりがいの場所」を見つけること」だな、と思っていたんです。

(念のためだけど、実際に会社や前のチームに戻りたいわけでは全くありません。夢に出てくるのは「象徴」であって、そのものではなく、それが指し示しているもの。つまり、抽象的な「やりがいの場所にいるという感覚」を求めているのであって、夢に出てきた、そのものではないのです)

……そして、2018年も半年くらい経って、また思うことがありました。

「やりがいの場所」というのは、具体的な職場とか仕事ではないかもしれないなー、と。
いや、職場がそれに繋がっているなら、それでよし、だけど。
「やりがいの場所」は、結局は自分の中にあるんだな、と。

自分の能力を発揮していて、生きていることが(いい意味で)緊張感があって、ワクワクして、素晴らしい、というようなトーン。

それじゃ、「大変と感じるくらいのときが、「やりがいの場所」にいる」という話はどこに行ったかと言うと、まあ、それは人の好みによるけど、今の時代、「大変」とか「苦労」とか、多少の<抵抗>があったほうが、やりがいを感じられる、というのは、積極的に選ばなくてもよくなった感じがして。

本当は、生きている間中、1分1秒、この「やりがいの場所」を感じ続けることもできる、はず。
それができたら、人生のマスターだよなーーーー(笑)

ということが、最近、急に分かった気がしました。

ところで、これまでの経験から言うと、夢の意図に気がついて、受け止めると、同じ夢は見なくなることが多いです。
まあ、まだ分かりませんけど、あれ以来、同じような前の職場の夢は見なくなりました。

「#2.0的なもの」タグをつけたのは、これからますます多くの人が、食べるためだけに仕事をするのではなく、人それぞれの「やりがいの場所」、その、感情のトーンを求めて、仕事でもいいし、何かをするようになるんじゃないかな、と。

そうなったらいいな、という思いをこめて。

西から東へ向かう台風の朝、なぜか新宿でフルーツモーニング。
パンケーキが食べたかった……