また、読んだ人にしか分からないものを描いてしまった……! そして、読んだ人には怒られそうな内容……神の化身はうなされたりしませんw
【※解説】
戦争開始前、クリシュナは「自分の持つ軍隊か、戦いに参加しない自分自身か、どちらかを選べ」と言った。最初にアルジュナがクリシュナ自身を選び、ドゥルヨーダナは喜んで軍隊を選んだ。結果的にはクリシュナが助けた前者が勝つ(とはいえ、両軍ほぼ全滅だが)。
ちなみに二人が援助を頼みにいったとき、クリシュナは寝ていて、彼らはその前で起きるのを待っていた、というエピソードがある。
前回『マハーバーラタ戦記』(以下『戦記』)を読んだ後、もっと詳しい訳に挑戦してるんですが、細部は結構、違うところが多くて、面白かったので、ちょっとだけ書きます。
サンスクリット語から直接翻訳されたので「原典訳」。残念ながら訳者の上村先生急逝のため途中で終わっています。せめてカルナの死、できればクリシュナの死まで出版して頂きたかった!
要約版では、細かい部分が現代的になっている
アルジュナ駆け落ちエピソード
アルジュナがクリシュナの妹、スバドラーと駆け落ちするエピソードは、原典訳では実にあっさりしてます。彼女の意思も確かめずに、勝手に連れ去ったように読める。
クリシュナはどちらもアルジュナの味方ですが、原典訳の場合は「兄として、それはどうなのか?」と思ったりして。
『戦記』のように、アルジュナがスバドラーの心を射止めて駆け落ちするほうが、現代人としては納得感あります。「両性の合意」w
それと、すごく細かいんですが、『戦記』でビーマがヒディンバーに結婚をせまられて、真っ赤になるところも、可愛くて好きです。
原典訳には、ビーマの心の機微なんて一つも書かれていないんですが、ビーマのほうも「まんざらでもなかった」ほうが、物語としてはいいじゃない?
「真のダルマ」の解釈
ビーシュマおじいちゃんやクリシュナがたびたび語る「真のダルマ」。説明がとても難しいですが、「善」とか「正義」、「法」というような意味の言葉です。
これについても、『戦記』では、カーストや世間的な義務とは関係ないんだよ、と書かれていて、個人的にはよかったです。
マハーバーラタのテキストには時代的な制約が当然あるわけですが、現代的に解釈するなら、「真のダルマ」とは、確かに内なる自分自身との関係しかありえないだろう、と思います。
カーストといえば、どんなに修行を積んでも、差別的な視点から逃れられないバラモンを、クリシュナがやさしくいさめるシーンも好き。
「ウタンカ、きみには驚いたよ。あれほど修行を積んでおきながら、神は万人に宿るということがわからないのか? あの男のなかに、聖なる炎を見てとれなかったのか?」
ウタンカは恥ずかしさのあまり首をうなだれた。クリシュナをがっかりさせてしまったのだ。外見がすべてだと思い込んでいた。性格や身なりやカーストは、ちょうど役者の衣装のように、ほんとうの“我”−–神聖で普遍的な不滅の“意識”−−を覆い隠す外皮にすぎないということを、忘れていたのだ。
『マハーバーラタ戦記』p.301
キャラクターの印象が変わった点
『戦記』のカルナは、身分の低い育ての両親との会話が良いんです。
あのシーンがあるから、最後まで「不憫な子だな~」という印象が消えなかったんですね。
でも、原典訳にはあれこれ詳しく書いてある分、「こいつ……ダメだな……」という場面が多くて。とにかく大言壮語ばっかりだし、ドゥルヨーダナに媚びるためか、やたら邪悪なことを言ったり、したりするし。うーーーむ。
それと、『戦記』は「クリシュナ最強伝説」みたいなところがあるので、あまり注目してなかったんですが、アルジュナは実はめっちゃ強い子。マハーバーラタの主人公をひとりだけ選ぶとしたらアルジュナだよな……と。立場的には兄王のユディシュティラでしょうけど、エピソードの豊富さ、戦闘における活躍では、明らかに三男が上。兄に従順な「いい子ちゃん」ではありますけど。
今回、四コマにした、アルジュナが「軍隊」ではなく「クリシュナ自身」を選ぶシーンですが、後でKが「どうして私を選んだ?」と聞きますよね。
その答えも『戦記』と原典訳では、ぜんぜん違って、面白かったです。
『戦記』では、アルジュナがとても殊勝で、それも「いい子ちゃん」のアルジュナらしいんですが、原典訳はまったく違って生意気なんです。「きみに名声を持っていかれると困るから」「そういえば、きみに御者やってもらいたいと前から思ってたんだよね」とか、自分から言い出すし。何だ、このキャラクターの印象の違い。ということで、この四コマを思いつきました。
いろいろな訳を読み比べてみると、面白いですね。
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