「コレクション」に関わる本を読んでいます。
とくに『ミュージアムの思想』(松宮秀治、白水社)は、新しい視野が開けて、目が覚めるような思いがしたので、感想の一端を書き残しておけたら、と。
そもそも「なぜ、私は鉱物を集めるのか?」という疑問があったことは確かですが、『ミュージアムの思想』について知ったのは、『コレクションと資本主義』(水野和夫×山本豊津、角川新書)でした。
(水野) そもそも私が芸術に興味を抱いたのには、伏線があります。じつは現在の私の経済史観を形作った本として、松宮秀治氏の『ミュージアムの思想』(白水社)があります。この本を読んだきっかけは、かねてからその思想に傾倒し、尊敬していた哲学者の柄谷行人氏が絶賛していたからという、単純なものでした。(『コレクションと資本主義』p.19-20)
私も『資本主義の終焉と歴史の危機』以来、水野先生には傾倒していると言ってもいいので、これは読まねば! と。
そして、読破した結果、
「なぜ、私は鉱物を集めるのか」だけでなく、
「なぜ、美術館や博物館が好きなのか?」
「美術館や博物館に行くことを、『良いこと』『良い趣味』とばくぜんと思っているのはなぜなのか?」
「なぜ、古いヨーロッパの博物館やヴンダーカンマーの雰囲気に憧れるのか?」
等々についてもかなり理解できたというか、相対化してものを考えられるようになりました。
日本語では、「美術館」「博物館」「植物園」などとバラバラに訳されていますが、「ミュージアム」という単語はもっと全体的なもので、西欧近代の思想や哲学、歴史が込められているんです。
読んでみて、まさに目が開かれる思いでした。通常、「ミュージアム」のことを「美術館」や「博物館」と訳します。しかしそれらの日本語では到底伝わらない、西欧の思想や哲学、歴史がその言葉に込められている、と松宮氏はいうのです。松宮氏はそれを「蒐集(しゅうしゅう)」というキーワードで解説します。(『コレクションと資本主義』p.20)
イギリスの大英博物館やフランスのルーヴル美術館に行くと、一日では回りきれないほどの膨大な展示品があります。彼らはたんにモノを蒐めて持ち帰ったのではありません。世界中の珍しいもの、貴重なものを選別し、蒐めることが「力」になると知っていたのです。
そこには世界中の富や財を蒐集することで自分の富を肥やすという、直接的な蓄財の意味もあったでしょう。しかし、それ以上に重要なのは、世界中の価値を集め、自分たちの価値観によってそれらを体系化し、「世界を所有すること」です。そして、それらを一般に公開することで、所有している「自分の立場と力を誇示すること」なのです。所有する側はつねに、所有される側の上に立ちます。大英博物館が膨大なコレクションを無料で公開しているのは、決して気前がよいからではありません。コレクションを公開することで自分たちの力を誇示し、ヒエラルキーの上位にいることを世界中の人に知らしめたいという意図と戦略があるのです。
(『コレクションと資本主義』p.21)
確かに大英博物館やルーブル美術館の所蔵品には圧倒されるものがあるし、何か目に見えないヒエラルキーの上位に今も彼らがいるのをひしひしと感じます。気前がよいだけじゃなかったんだ……。
さらに「ミュージアム」は、暴力的な思想でもあります。それは「帝国主義的な世界支配の意図と結果」(=世界中から価値のあるもの、珍しいものを収奪した)であると同時に、ただ集めるだけでなく「西欧の価値観で一元化し、等級づけ、本来それが使われたり信仰されたりしていた場所から引きはがして公開する」、という暴力性もあります。
何だか引用だけで終わってしまいましたが、長くなってきたのでとりあえずここまでにします。
※水野先生は「蒐集」をキーワードに読み解かれていましたが、私には、「近代の新しい神」という概念も目からうろこで面白かったです。
政教分離によって神と離別し、神によって世界を一元的に説明できなくなった「近代」。そこで「近代」が生み出した新しい神が、「科学」「歴史」「芸術」「文化」です。それらにまつわる殿堂が「ミュージアム」。
「ミュージアム」は近代にとっての新たな「神殿」なんです。だから、そこに通うことは「良いこと」とみなされ、社会的に否定されないんですよ。啓蒙主義。美術館に人が押し寄せたり、定期的に雑誌で特集されたりする理由が分かったような気がします。
※ミュージアムの「暴力性」とは? 「暴力性」の一端について、たとえば箸墓古墳について考えてみると、日本人としてよく分かると思います。つまり、「歴史的に重要な施設なのだから、きちんと発掘、研究して、内容物はミュージアムに展示、公開すべきだ」というのが近代であり、西欧的な、つまり、科学的で民主主義的な考え方です。それに対して、「天皇家という王族の墓なのだから、暴かずに大事に守るべきだ」というのが、宗教国家を維持している前近代の考え方です。私はどちらかというと前者なのですが、現在の日本は後者だということです。
ね、驚きでしょ? 日本は、前近代だったんだ! びっくり。
一方で、『ミイラ』の特別展を開催している国立科学博物館は、明らかに前者なんですねー。
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結構難しいです。個人的には、最初に「終章」を一読して全体像をつかみ、頭から戻って最後にもう一度「終章」を読み直すのがいいかもしれません。
アートにコンテクストが大事、などの話も面白かったです。(たぶん鉱物収集にも!)
アートが資本主義の余剰資金を吸収するか、という話は、松宮秀治氏の『芸術崇拝の思想』を読んだ後では、「うーん、そうかもしれないけど、どうかなぁ……」と思ったりもします。
『近代文学の終り』(柄谷行人)も面白かったですよ~。もっと読まなきゃ。
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