就職活動で、「どうしてコンピューターに興味を持ったの?」と聞かれて、「コンピューターは人間の脳のメタファーだからです」と答えたことがある。残念ながらその会社には受からなかった。
それはともかく、村上春樹『海辺のカフカ』には「メタファー」という言葉がよく出てくる。大島さんが引用するゲーテの言葉は、『ファウスト』の最後の段落にある。
「メタファー(隠喩、暗喩)」は、『神話の力』ではとても重要な言葉なので、いくつか引用して整理してみようと思う。その前に、まず辞書を引くと、
比喩法の一。「…のようだ」「…のごとし」などの形を用いず、そのものの特徴を直接他のもので表現する方法。「花のかんばせ」「金は力なり」の類。暗喩。隠喩法。メタファー。
(大辞泉)
ということで、メタファーは比喩の一つだということが分かる。ちなみに、直喩(ちょくゆ)という比喩もある。
『神話の力』ではこんなふうに説明している。
つまり、メタファーは、「文字どおりの意味ではない、それとは別の・それを超えた何かを暗示するもの」、と言えるだろうか。キャンベルは、神話や宗教は文字どおりの意味ではなく、隠喩として解釈しなければならない、と言う。
キャンベル: それはシンボルの間違った読み方でしょう。それでは言葉を詩としてではなく、散文として読むことになる。隠喩の内包ではなく、その外延だけを読み取ることになります。(同p.136)
モイヤーズは、イエスの復活を「文字どおり」、一度死んだ人間が生き返ったと解釈しているキリスト教徒を気にして、こう発言している。しかし、キャンベルはその「文字どおり」の解釈は、本来意図された読み方ではないと主張する。宗教において、隠喩は、書かれている字面以上の超越的なものを暗示しているのだと。それを、「散文」のレベルに引きずり下ろしてはいけないと。
モイヤーズ: 隠喩は可能性を暗示するのでしょうか?
キャンベル: そうです。それはまた目に見える光景のかげに隠れた現実(actuality)をも暗示します。隠喩は神の仮面であり、それを通して永遠というものが経験できるのです。(同p.144)
世の中には「目に見える物の影に隠れた現実」があることを、どうしても受け入れられない信念体系を持っている人間もいる。特に、自分のことを「理性的」「合理的」「科学的」だと思っている人間は誇らしげに、そんなものはない、と言うかもしれない。
でも、私は、キャンベルの言っていることは、分かる。それに、隠喩に富んだ神話や詩が、人類の創世と共にあることを考えると……。
詩は通り抜けられる言語です。詩は含蓄や暗示に富んだ語を正確に選んで作るものですが、暗示されているものは、当の語句を抜け出たところにある。
語を通り抜けたところに光明があり、エピファニーがある。エピファニーとは、言語のかなたに本質をかいま見せる働きです。(同p.470)
『海辺のカフカ』とほぼ同じ、ゲーテの引用は次のとおり。「コンピューターは人の心のメタファーだ」と思った理由も含めて、いつか考えたことを書いてみたい。
これは『ファウスト』のいちばん最後に出てくる言葉である。
参考)http://www.geocities.jp/kasuminohito/dai2_5maku_7_12104.html
参考)http://gutenberg.spiegel.de/buch/3645/64
Ist nur ein Gleichnis;
Vergänglich 「移ろいやすい」「つかの間の」「はかない」
nur 「ただ…だけ」「単に」「…に過ぎない」
Gleichnis 「たとえ話」「寓話」
(デイリーコンサイス独和・和独辞典より)