///J・キャンベルその2 無上の喜びについて

J・キャンベルその2 無上の喜びについて

『神話の力』から、「無上の喜び」についての箇所を集めてみました。

キャンベル: 無上の喜びを追求したことのない人間。世間的には成功を収めるかもしれないが、まあ考えてごらんなさい――なんという人生でしょう?自分のやりたいことを一度もやれない人生に、いったいどんな値打ちがあるでしょう。私はいつも学生たちに言います。きみたちの体と心とが欲するところへ行きなさいって。これはと思ったら、そこにとどまって、だれの干渉も許すんじゃないってね。

モイヤーズ: 自分の幸福を追求すると、どうなるのでしょう。

キャンベル: 無上の喜びに行き着く。中世のいろんなものによく出てくるイメージに運命の輪があります。中心の軸と、その回りを回転する縁からできている。例えば、もしあなたが運命の輪の縁に取りついたとすると、あなたは頂点から下がるか、底辺から上がっていくかのどちらかです。でも、もし軸に取りついたなら、常に同じ位置にいる。

結婚の誓いの意味はそれですね。健やかなときも病めるときも、豊かなときも貧しいときも、つまり上昇するときも下降するときも、あなたと共にいる。あなたは私の中心であり、私にとって無上の喜びである。あなたが私にもたらすかもしれない富ではなく、社会的地位でもなく、あなた自身が至福なのだ。無上の喜びを追求するとは、こういうことです。(『神話の力』文庫版p.256)

画像はマルセイユ版タロット「運命の輪」。
運命の輪の端は上ったり下ったり、人生の浮き沈みを表している。でも、中心はつねに一定。

でも、中心って何だろう? たとえばこんなくだりがヒントになりそう。

モイヤーズ: 幸福についてはどうですか。もし私が若者で、幸福になりたいと思っている場合、神話は幸福について私になにを語ってくれるでしょう。

キャンベル: 自分の幸福について知ろうと思ったら、心を、自分が最も幸福を感じた時期に向けることです。ほんとうに幸福だったとき――ただ興奮したりわくわくしたりではなく、深い幸せを感じたとき。そのためには自己分析が少し必要ですね。なにが自分を幸福にしたのだろう、と考えてみる。そしてだれがなんと言おうと、それから離れないことです。私が「あなたの至福を追求しなさい」と言う意味はそれなんです。

モイヤーズ: でも、なにが自分を幸福にするかについて、神話はどう言っているのでしょう。

キャンベル: 神話は、なにがあなたを幸福にするかは語ってくれません。しかし、あなたが自分の幸福を追求したときにどんなことが起こるか、どんな障害にぶつかるか、は語ります。(同p.330)

ドーパミン系の激しく短い喜びではなく、セロトニン系のしみじみ、じんわりした喜びが鍵になると。

しかし、単に「わがままな人」になればいいというわけではない。社会と調和を取って進まなければならない。

キャンベル: それが個というものです。西洋の伝統の最善の部分には、生きた実体としての個人を認め、それを尊重することが含まれています。社会の役割は個人を啓発することです。逆に、社会を支えるのが個人の役割だという考えは間違っています。

モイヤーズ: でも、私たちみんながただもう自分の愛だけに従ったら、社会制度はどうなるでしょう――大学、会社、教会、この社会の政治制度なんかは? 葛藤が生じるんじゃありませんか、個人対社会の? (中略)先生は、それがどこに通じていようとも、自分の無上の喜びに従い、自分の愛に従うべきだと本気でおっしゃるのですか?

キャンベル: いや、自分の頭も使わなくては。狭い道は極めて危険な道、と言いますね。剃刀の刃のようなものだと。

モイヤーズ: だから、頭と心が争ってはいけない?

キャンベル: そう、決して争ってはいけません。協力すべきです。頭を働かせなければならないし、心はときどきそれに耳を傾けるべきです。(同p.401)

最後に、自分の至福(=神話の研究)を追求したキャンベルの言葉として。

モイヤーズ: 至福を追求しているとき、なにか隠れた手に助けられているような感じを受けませんか。私の場合、ときどきそんな気がするんですが。

キャンベル: しょっちゅうです。実に不思議ですね。いつも見えない手に助けられているものだから、とうとうひとつの迷信を抱いてしまいましたよ。それは、もし自分の至福を追求するならば、以前からそこにあって私を待っていた一種の軌道に乗ることができる。そして、いまの自分の生き方こそ、私のあるべき生き方なのだ、というものです。そのことがわかると、自分の至福の領域にいる人々と出会うようになある。その人たちが、私のために扉を開いてくれる。心配せずに自分の至福を追求せよ、そうしたら思いがけないところで扉が開く、と私は自分に言い聞かせるのです。(同p.262)

モイヤーズ: 永遠の生命の水がすぐそこに? どこに?

キャンベル: あなたのいるところ、どこにでも。もしあなたが至福を、無上の喜びを追いかけているのなら、あなたは常にあのさわやかな水、あなたの内なる生命の水でのどをうるおしているのです。(同p.263)

『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ)でも隠喩として描かれているように、生命の水はいつでも自分の内にあるんでしょうね。

そういえば、先月見た夢で、「伊豆っぽいけど異国の海辺で、丸二日間遊んで、満足して砂浜に上がってきたところ」というものがあります。海にいたときの記憶はなくて、砂浜からの情景しか覚えていないんだけど。でも、水から上がってきたばかりのあの気持ちよさ、心地よく疲れて、でもすっかり満足した感じ……。

夢を見る人は分かると思うけど、夢の中の「感じ」って現実よりも「濃い」ことがままあるんですよね。上記の箇所を読んで、私は夢に出てきたあの「水の感じ」を思い出しました。

ちなみにこの夢は、「こんな綺麗な夕焼けと海、一眼レフで撮らなきゃもったいない!」と思ってカメラを構えたら、邪魔ばっかり入ってうまく撮れず、最後はおもしろおかしく(?)終わりました。

神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
神話の力 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
ジョーゼフ キャンベル,ビル モイヤーズ,Joseph Campbell,Bill Moyers,飛田 茂雄