古武術研究の甲野善紀と内田樹の二〇〇六年の対談で、「これは」と思った文章があったのでとりあえずメモっておく。
(中略)自分が成功したのは、「念ずればこうなるのだ」ということを言う人がいます。でもこれもある面ではそうなのですが、安易にとらえるとつまらないことになってしまいます。あらかじめ自分で思い描けるような状況なんて、つまらないものです。本当にクリエイティブな発展というのは、想像を越えているものです。例えば、悟った時の状況を思い浮かべて禅をするなんて邪道でしょうし、およそおかしな話です。
(中略)
整体協会の野口晴哉先生が言われていましたが、「願いごとというのは、願っておいて忘れること」、「思って・忘れる」、これが大事だということです。自分でこう言っておいて、そのことにこだわっているとダメなんです。
まあ野口先生の、この「念ずれば現ず」の方法はとても具体的な願いごとの達成法なのですが、野口先生の場合、これを大上段に振りかざさないところが、いかにも野口先生らしいセンスのよさでした。また、野口先生にしてみれば、こういうことは、人生の上のホンの小道具として使うことだという思いがおありだったからだと思うのです。なにしろ野口先生には「人間というのは、生きるために生きるのであって、別に何々をするために生きるのではない」という大名言というか身もフタもない格言があります。
(『身体を通して時代を読む』文庫版p.132)
うろ覚えだけど、ユング派の心理学者河合隼雄も同じようなことを言っていた。自分が立てた目標に向かって人生を進めるのは大切なことだけど、人間の意思を越えた大きな力で流されていくのもまた、人生の醍醐味だ、というようなことを。
それから、「願いごとというのは、願っておいて”忘れる”ことが大事」、これはバシャールとまったく同じことを言っている。
同じようなことを言う人や宇宙人が世の中にはけっこういるものだなー(笑)。そして、人は、自分が好きな言葉を拾い集めてしまうものなのだ、私のように。「人生の上のホンの小道具」という軽やかさもいい。
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